琉球ゴールデンキングス - ジュン 安永

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2008年05月02日

大好きなチーム




(仰木の舞 1989年10月14日 藤井寺球場)
(画像の右の方にいる青と赤のメガフォンを右手に持っているのはジュン安永


前回のブログで、ゴールデンの駄洒落で、「好きなチームは、楽天ゴールデンイーグルス」と書いたら、20年前に近鉄バッファローズを一緒に応援した友達から、好きなチームは近鉄だろう(怒)!とメールが飛んできた。

その通りで、大好きなチームは近鉄バファローズだった。京都に生まれ、幼いころは阪神タイガースのファンに囲まれながら、「好きなチームは?」とビアガーデンにいたおっさんに聞かれて、みんなが好きなものがあまり好きでなかった私は、「タイガース!」といえず、その場でとっさに近鉄と言ってしまった。

なぜ近鉄が好きと言ったかというと、小学生の私は鉄道マニアで趣味は京都駅で鉄道を眺めること。国鉄が大好きだったが、当時珍しかった二階建て特急列車が走っていた私鉄の近鉄も大好きだった。近鉄電車が好きという理由で近鉄バファローズを気にするようになった。そうしたら、赤鬼チャーリー・マニエルがポンポンとホームランを打ちパリーグ優勝をした。でもその頃は鉄道の方がプロ野球よりも大事だった。思春期にようやく趣味が、鉄道からスポーツに変わり、その後阪神タイガースがバース・岡田・掛布・真弓・長崎らの大活躍で初優勝したときも周囲の流れに従い、繁華街で大暴れしたが、大好きなチームはやっぱり近鉄だった。

そして近鉄を応援しているうちに、どうしても我慢できず、1988年10月19日には、川崎球場に行ってしまった。

川崎ロッテとのダブルヘッダーに2連勝すれば優勝という試合、どうしても生で見たくて京都から夜行バスに乗り駆けつけた。超満員の川崎球場は1試合目を前に入場券売り切れ。球場入口に溢れかえったチケットを買えない近鉄ファンは、入口の鉄の門を力ずくで押し倒し、ジュン安永も大勢のマナーの悪いファンと場内に流れ込んだ。

129試合目
午後3時、第一試合は小野和義投手が先発。ロッテが3対1で優位に試合を運ぶが近鉄は9回に執念で逆転し、最後は阿波野秀幸投手が抑えた。

130試合目:運命の最終戦:ここで勝てば優勝! 
午後6時45分、運命の第二試合が始まる。近鉄が4対3で勝ち越した7回からは、2日前には完投している先発投手の阿波野投手が第一試合に続きリリーフとして再びマウンドへ。ジュン安永この時点で、涙そうそう、声は枯れ果てていた。疲労のピークを超えていたと思われる阿波野投手は、首位打者争いをしていた高沢選手にソロホームランを許してしまう。このまま試合は4対4の延長戦となり、試合時間4時間を超える延長をしないという規定に従い、4時間12分の死闘の末、4対4の時間切れ引き分け。その結果、勝率で西武ライオンズが優勝。くやしくて、くやしくて、今思い出しただけでもくやしさが胸とおなかに充満する。

「高沢さん、どーしてあそこでホームランなの?」
「有藤監督、なんで時間稼ぎして時間切れ試合終了に持ち込もうとしたの?」 
この疑問、いや愚問はネッツで勝負の世界にどっぷりと足をつけるまで理解できなかった。

でもあの伝説に残る10・19ダブルヘッダーを生で見たから、いまこうしてプロスポーツにこだわっているジュン安永がある。この試合を見て以来、ゲームで引き分けが存在することが納得できなったし、このダブルヘッダーは超衝撃だった。あの試合の中継やドキュメンタリー番組をみた人なら近鉄バファローズを気にしていない人でも胸を打たれたはず。ニューススーションの久米宏さんが報道された運命のダブルヘッダーの番組は20年近く経った今でも脳裏から離れない。

あー、長々と書いているけど、本当はもっと詳しく書きたいけど、沖縄のプロバスケのブログで1988年のプロ野球の話をダラダラ書くのは気が引ける、、、でも、書きましょ。なぜなら間違いなくこの1988年10月19日が、ジュン安永のプロスポーツ経営への起点だったから。

で、翌年1989年は、近鉄バファローズは快調に優勝争いを演じた。ジュン安永はというと、10・19の悔しさ胸いっぱいで、その悔しさが消えず、逆に悔しさに後押しされて京都から遠い藤井寺球場にまで1シーズンほとんどの試合に足を運んだ。その中で白い日産シーマに乗った一人の忘れられない選手がいる。ジュン安永と同じ名前の選手、沖縄尚学出身の「守備の達人」真喜志康永選手。阿波野投手と同じ年にドラフトで近鉄入りした真喜志ヤスナガ選手、ヤスナガつながりで他人とは思えず、真喜志選手が試合にスタメン登場するとその日は一日中ハッピーだった。

1989年のペナントレースは、西武、オリックス、近鉄の三つ巴で最終戦まで優勝の行方がわからない大混戦。その混戦の中、10月12日は、西武球場でラルフ・ブライアント選手が4打席連続ホームランをかっ飛ばす。TVの前で釘付けだったジュン安永、仲間と共に狂喜の一夜を過ごす。「いてまえ打線」凄い!

1989年10月14日は、本拠地藤井寺球場でダイエー相手にマジック「1」で迎えた129試合目がナイターで行われた。愛用の青と赤のメガホン片手に応援。そして近鉄リードで迎えた9回裏は、マウンドにはやっぱり阿波野投手が立った。「オレがもし女だったら絶対に阿波野と結婚したい」と思うぐらい、阿波野選手が大好きだった。9回裏2アウト2ストライクになった時はジュン安永はホームベース裏にドキドキしながら待機。阿波野投手が投球した瞬間にフェンスをよじ登り、バッターがファウルを打ってねばるとまたフェンスを降りる。球場係員と何度も眼が合うが、気迫に勝るジュン安永、警備員を寄せ付けない。最後に阿波野投手が三振を奪った瞬間には、ジュン安永はフェンスを乗り越えホームベース裏の高いフェンスから真っ逆さまにグランドに転落すると、イッキにマウンドめがけて猛ダッシュ。気がつくと、南大阪の夜空に舞う仰木監督の胴上げに加わっていた


グラウンドへの進入、マナーの悪いことしてすみませんでした。もう2度としません。


仰木監督が率いたミラクルバッファローズ、まじでとことん好きだった。
何が起こるか予測ができない試合をするチーム。
爆発的な得点力があり攻撃型野球をし、
仰木マジックと呼ばれた奇襲采配で劣勢を吹き飛ばし、
勇気ある若手起用でどんどんチームから若手選手が育ち、
個性のある素晴らしいチームだった。
近鉄は多くのドラマを作り出したチーム。
ドラマチック・バファローズ


ミラクルバッファローズのようなドラマチックなチームにKingsもなりそうな予感がする。

Go Kings!

  

Posted by ジュン 安永 at 02:05Comments(8)TrackBack(0)